2015年3月11日水曜日

2015.3.11

今日は職場で黙祷をした。
いま、私は西条にいるんだなあーって実感する。
役所では終戦記念日にも黙祷する。そういうところは、すごく好きだ。



4年前の今日は後輩の女子と浦和のお客さんのとこにいて、京浜東北線からは乗客が線路の上を歩いて避難。
伊勢丹のヴィトンの前で座り込み、本を読み、日暮れ頃松屋で牛めしを食らい、途方に暮れて和民にハシゴした。

東京に帰る選択肢はなく、もういいやーんってことで和民で能天気でトロピカルな青色のカクテルを飲んだ。後輩の背後のテレビで亡くなった方のカタカナの名前が延々と読み上げられてた。他人の絶望ってこんなふうに流れていくものなのかと、キョトンとしたのを覚えてる。


9時ごろに和民も追い出され、浦和の小学校の生活科室でサラリーマンのおやじたちと雑魚寝した。先生がたがあたたかかった。石油ストーブもあたたかかった。明け方、目がさめると気仙沼が真っ赤に燃えてた。


モーニングかなんかをデニーズで食べて、翌日の昼に東京に帰ると、東京タワーは曲がってるしスーパーに物はないし、家中ぐちゃぐちゃだし原発は爆発してるし。

1人だったら心細かったやろな。
ありがとう、M!


毎日家族の顔が見えることに感謝。
ごはんが安全でおいしいことに感謝。



西日本には、巨大な南海トラフ地震が来ることが予測されています。

西条市の死者想定は県下最悪。
やれることたくさんあるけど、避難場所の確認だけ、今日おかんとしたところ。



あの年、西日本で感じた、地震や津波への他人事な感じ。
もう私にとっても他人事になってしもとるんやろな。

あの年、東北に行けばよかったと未だに思う。まだ遅くないのかな、この目で見て感じるのも。